こんにちは、たき子です。
南の島好きのたき子はいつか南太平洋の島々を旅したいと思い続けてきました。
長年勤めていた会社を退職したタイミングでその夢を実行に移したのはもう20年以上も前のこと。
4ヶ月間に及ぶ南太平洋一人旅の回顧録その④です。
- ナッセリア村へ
- ナッセリア式お風呂とは?
- フィジアン式の朝食
- 伝統的なロボ料理とカレー
- 美味しかった茹でパン
- やはり皆カバが大好き
- 大雑把な国民性
- 海遊びに行く
- モヤモヤがマックスに
- 島を出ることに
- 別れ難かった子ども達
ナッセリア村へ
カンダブ島でホームステイしていたたき子は、お祭りが終わると船に乗せられました。
ドナドナ〜。。。もしかして売られちゃうの? ←誰も買わん(´ω`)
船から降りて車で移動。
軽トラの荷台だから乗りごこちが悪いのは平気だけど排気ガスがもろに顔にかかるのはキツいなあ^^;
着いたのはナッセリアという村でした。
ここでとある一家のお家にお世話になるみたいです(流されてるので全てが推測)。
プレハブの家には一応ラジオや冷蔵庫があるけど、通電しているのは1日のうち昼間の数時間なので夜はランプです。
トイレは村の共同トイレ。
ここのトイレは水洗でキレイだったからホッとしたわ(*´艸`)
村には鶏はもちろん牛、アヒル、子豚までいた。
本当に素朴な南の島の村って感じなの。
ナッセリア式お風呂とは?
一息つくと「Let's go to bath !(お風呂へ行くわよ!)」と言うのでひょこひょこついてゆくたき子。
お風呂もトイレのように共同なのかと思っていると。。。
着いたのは川(・・;)
みんな服のまま入り、ざぶざぶ体を洗うんだよね。
川では髪も洗う。ついでに服も洗濯する。
もし巨大な桃が流れてきても驚かなかったと思うよ(*´艸`)
フィジアン式の朝食
朝ご飯はカレー皿に山のように盛られたご飯のみ。
フィジアン式朝食なのだそう。
美味しいとか美味しくないというより、朝っぱらから大量のご飯のみを食べるという習慣がないんだよね。。。うう、食がすすまない。
贅沢に慣れた日本人ってやだな( ;∀;)
後からナスビを煮た物が少しだけ出て(皆で取り分ける感じ)その汁を少しかけたけど、全部食べきるのは大変だった。
伝統的なロボ料理とカレー
昼食と夕食はカレー。というよりカレー味の煮物。
フィジーは昔イギリス領で、サトウキビの栽培のためにインド人たくさん送り込まれたという歴史があるんだよね。
だから今も人口の約半分はインド系。
インド料理はインド人家庭のみならずフィジアンにも根付いたらしく食生活はカレー粉が日本でいう醤油のように使われているのよね。
あとは伝統的なロボっていう蒸し物(ココナツの葉で包み熾火で蒸す)かココナツミルクで野菜や魚を煮た物が多いかな。
ココナツミルクで煮込まれたタロイモの葉っぱがとっても美味しかった。
主食はライスやパンの他はタロイモも多いよ。
タロイモは里芋の仲間だけどねっとり感は少ないから口内水分持っていかれるわ(*´艸`)
このあたりの様子は残念ながらほとんど写真に残ってないの。
当時はデジカメなんてないからそうそうパチパチ撮りまくれないしまだ旅の初めだからフィルムをあまり使いたくなかったんだよね。
美味しかった茹でパン
朝食の白いパンが美味しくて、作り方を聞くと「boil」と。
パンを茹でて作ることができるなんて!
作り方を教わりたかったんだけど結局この後その機会はなかったんだよね。
たき子が少し前に「茹でパン」を作ったのはこの時の味が食べたかったから。
その時の記事がこれ↓↓
全然思うようにはできなかったけど(_ _;)
やはり皆カバが大好き
飲み物はあまーい紅茶の他にはフィジアンティーっていうのが山椒に似た香りで美味しかった。
それとやっぱり多いのはカバかな。
お祭りで無くても毎晩のようにカバが飲み交わされるの(*´艸`)
大雑把な国民性
乾期とはいえスコールは毎日降るんだよね。
そもそも雨だから洗濯物を取り込むっていう発想がないから雨が降ったら濡れっぱなし。
それを思うと日本人ってキチンとしてるよね〜。
南国だから蚊は多い。
最初の夜、蚊がひどくてなかなか寝られなかったので次の夜はカヤを張ってくれたの。
おかげで蚊に悩まされることはなかったんだけど、今度は狭いカヤの中でサラの寝相に悩まされたわ( ;∀;)
海遊びに行く
海へも連れて行ってもらった。
釣りとシュノーケリングと昼寝。
釣った魚はたき火に直接放り込んで焼いて食べるというワイルドな食べ方。
真っ黒けになった魚の焦げをよけながら身をすする感じ。
モヤモヤがマックスに
そんな感じで楽しく過ごさせてもらった一方モヤモヤもあった。
モヤモヤの原因っていうとやっぱり対人関係。
なかでもサラは相当強引で、たき子の意向をおかまいなしに連れ回すんだよね。
言われるがままにお金を貸したり払ったりしてなんだかモヤモヤしていた。
例えば行きの船代30ドル。
サラに50ドル札を渡したんだけどお釣りは返ってこなかった。
また、買いだしに出かけた時の船代は5ドルだったけど持ち合わせがなく、仕方なく50ドル渡しけど手持ちの20ドルだけ返してくれて残りの25ドルはきっと返ってこなかった。
問題は、そういうケースでお金を払うの妥当なのかどうかたき子の語学力ではわからない事なんだよね。
語学力だけではなくフィジーの文化と習慣がわからないからなんだろうな。
お金を出すのが嫌なわけじゃなくて、正統なお金なのかたかられているのかどっちなんだろう?
。。。そんな風に思い始めると楽しくなくなってきたんだよね。
島を出ることに
だからせっかくホームステイさせてもらったけど島を出ることにしたの。
当たり前なんだけど、ウルルンのように皆が親切で。。。なんていうのは現実にはなかなか難しいようだわ。
今のたき子ならそんなモンかと思えたと思うし過度なドリームを抱くこともなかったと思うけど、当時はまだ甘ちゃんだったんだろうなあ。
別れ難かった子ども達
そんな中、一番楽しかったのは子どもとの交流だった。
島を出ようと決めて飛行機のチケットを取った日、寄宿学校から二人の子どもが帰ってきたんだよね。
姉のバーディと弟のモディ。赤ちゃんはアカリバ。
特にモディとはとっても仲良しになって、サラの誘いは辞退し(ダンスやカバ)もっぱらモディ達と一緒に眠ったり遊んでた。
特に折り鶴は子どもだけでなく大人も興味津々。
帰国後写真と友に英語で書かれた折り紙の本と千代紙を送ったけど住所も怪しいしちゃんと届いていたのかはわからずじまい。
わからずじまいと言えば、結局家族構成も今ひとつわからずじまいだったんだよね。
お世話になった一家はわかるけど、ここで何回も名前が出てきたキーマン「サラ」はいったいここの家族とどういう関係かも今だに謎のまま。
こうしてモヤモヤと名残惜しさの狭間で可愛モディに見送られながら飛行機で島を立ったのでした。
余談だけど、15人乗りのプロペラ機はさすがにひやっとした。
ちょうどこの頃で実際にフィジー国内で飛行機墜落事故があったのは洒落にならない事実です。。。
さて、次回はカンダブ島から別のフィジーの島に移動します。
その様子は次回よければまた遊びに来てくださいね〜♪