こんにちは、たき子です。
ナナハン(たき子の電チャリのニックネーム)旅行の続きです。
興味深い箇所が多くて今回写真多めです。
すいません^^;
その分文字は少なくします^^(おいおい!?)
大和郡山でぜひ訪れたかったのがここ。
登録有形文化財に指定されている町屋物語館(旧川本邸)で入館料は無料。
大正13年に建築され、当時としては珍しい木造3階建ての町家なの。
町屋物語館は遊郭として一世を風靡した後、昭和33年に廃業。その後下宿となり客間は貸間として利用されていたのだそう。
その後下宿としての役割も終え、今は大和郡山市の管理下にあるんだって。
↑↑こちらは入り口を入ったところ。
こういう階段が5箇所もあり迷路みたい。
たき子が子どもの頃に全焼した祖母宅の階段もこんなふうに黒光りしていた。
こういう階段が懐かしくてつい多めに撮ってしまう。
どの階段を登っているのか既にわからない。
一応順路の矢印は貼られてあってのに完全に無視してほっつき歩いた。
この部屋は案内所だったかな↓↓
この部屋は多分客間だと思う↓↓
ごめんなさい~い!適当すぎるレポートで^^;
ここは間違いなく客間↓↓
客間の多くは3畳の部屋で表通りに面してる。
少しかび臭い3畳間でいろんな事情の女性たちが春をひさいでいたのだろうかと思うと感慨深いなあ。
↑↑この窓から何を思って外を眺めていたんだろうね。
“結核予防デー”の貼り紙の跡が時代を感じさせるなあ↓↓
たき子の母の姉と弟も結核で若くして他界してるのよね。
↑↑こちらはマジックで書かれた“南妙法蓮華経”の文字。
こういう建物って、建築美だけではないドラマ感じるのが惹かれる理由かもしれないわね。
壁に残っていた新聞紙は昭和45年。
ということは遊郭は廃業した借家時代の物だな。
外国人の映画女優?のシールが残っている。
茶室↓↓
灯り取りの窓はハート模様↓↓
猪目窓と言って魔除けの意味があるのだそう。
天井は竿縁天井↓↓
廊下にガス燈↓↓
外灯ではなく屋内までガス燈っていうのは珍しかったんだって。
電気の灯りもあったけどしょっちゅう停電するからガス燈がつけられていたということだった。
↑↑2階から見た料理坊
↑↑洗面所
↑↑3階の便所跡
↑↑1階の便所
↑↑浴室↓↓
浴室の天井には川本家の家紋↓↓
裏庭↓↓
この庭だけ見ると旅館か料亭みたいと思っていたら壁に料金表が架けられてあった↓↓
飲食代とあるわ。
そうか、名目では料理屋だったのね。
大阪の松島遊郭も現在は松島料理組合だもんね。
↑↑中から見た帳場。
こちらはお茶碗を収納するためのもの?
娼妓の名前が書かれてある。
ひとりひとりの生活があったんだなあと感じさせられる。
この家にお雛様の存在が似つかわしくなくて物悲しかった。
1階の仏間には木くずから作った「森のねんど」作家の岡本道康さんの粘土人形が。
粘土人形展を町屋物語館で開催したときの写真も展示されていた。
この粘土人形の写真がとってもリアルで表情がほんわかして素敵だったのよ。
カフェも営業してて100円でコーヒーをいただいてきた。
大和郡山市は金魚の養殖が盛んな街。
千羽鶴ならぬ千羽金魚が吊るされていたのにはニンマリしちゃったわ(*´艸`*)
近所の人が集まって民芸品や小物を作る試みも行われているらしく、布で作られた金魚の飾り(タペストリー?)はなんと400円。
めちゃくちゃお安いんですけど(・o・;)
こちらのカーテンに貼り付いてる猫は200円。
この猫、足を持ってつまむと手が広がってクリップになるの。
あまりにも可愛くて買っちまったぜい(*´艸`*)
町屋物語館は期待していたよりずっと良かった。
寺院仏閣やお城など大昔の史跡を見学するのも良いんだけど明治から大正、昭和初期にかけての建築物に特に魅力を感じるわ。
おじいちゃんおばいちゃんの暮らしていた昭和初期の家をかろうじて覚えてる世代だから、人々の息遣いが聞こえるような場所にたき子たち世代はノスタルジーを感じるのかもしれない。
こちらは町屋物語館を出たところに建つ民家。
古都のみならず近代奈良の風情をも色濃く残す洞泉寺町の町並みだった。